

プロフィール
1984年8月2日
5歳離れた兄の下に、長女として長野県で生まれる。
父の転勤で、2歳までに4回引っ越す。
誕生

「俺が”ポストは白”と言ったら白いんだ!」「俺を怒らせるお前が悪い!」という支配的な父がいる家庭の中で育つ。
兄は毎日父と殴り合い、母はひたすら我慢で父の言いなりになる、という空気の中で、「この人たちは家族なのになんでこんなふうに攻撃的にしか会話ができないんだ」と胃がキリキリし始める。
そのため、繊細で周りの空気をよみ、どこにいっても「しっかりしてるね」と言われる子どもに育つ。
いつからか、洗面所にかけてあるタオルがまっすぐになっているか、30分くらいかけて直してはまたやり直す…という症状にもひっそり苦しむ。
9歳ごろ

千葉に住んでいたのに兄が急に「都内の高校を受験する」と言い出し、急遽引っ越すことに。
大好きだった小学校に別れを告げるが、転校先で女子グループになじめず、通学路で飼われていた犬のところに毎日3時間ほど入りびたる。(流れで「今日のワンコ」に一緒にTV出演)
10歳ごろ

ひきつづき、まじめで優等生。この頃から他者の視線が気になるように。
電車で向かいのホームにいる人や、街中で変と思われていないか怖くて下を向くことが増える。
授業で当てられると声が震え、学校生活がしんどくて、後頭部に100円玉大のハゲができる。
13歳ごろ


家族内の不穏が続き、胃がご飯を受けつけなくなって拒食症に。生理も止まる。
父に怒鳴られ泣き続ける母に別居を勧め、高校を中退して母と長野へ引っ越す。
当時、169cmで32kg。病院の先生に入院をすすめられるも断固拒否。
当時は骨だらけで10分以上椅子に座れない。寝ると一晩であざだらけ。
さらに母の病気が発覚し、バイトや家事をして母を支える。
17歳

両親は再び一緒に住むことになったが、自分は出会って数ヶ月の人と結婚を決めてしまう。しかも相手は一文無しだったため、自分の貯金を全てはたいて新生活を始める。
19歳

5年間止まっていた生理を初めて治療。奇跡的に妊娠、出産。
過食症や鬱、不眠、希死念慮を精神薬でおさえながらワンオペ育児。
共働きなのに世帯年収は250万くらい。これは後に、住んでいた自治体の「生活保護基準額」より低いと知る。
23歳

出産後も生理は止まったまま。
元夫の言動がDVとは気づかず「私がダメな人間だからだ」と思い込む。
福祉の仕事に転職し、職場で「助かるよ、ありがとう」「すごいね」と人間扱いされることに感銘を受ける。
30歳ごろ


職場で人間扱いしてもらえたおかげで、抗うつ剤を断薬する決心がつく。
薬が身体から抜けたことで思考がクリアになり、元夫の言動に違和感を持つ。
夜逃げをして離婚。所持金は自分の口座に残った3万円のみ。
そのため1年間、生活保護を受けながら障がい支援の仕事に従事。
(離婚して1ヶ月後には、15年ぶりに生理が自然に来る。)
32歳

息子が不登校になり、自分の睡眠時間も5時間くらいの生活が続く。
イライラがおさえられず息子に本を投げつける、叩く、脅す日々。
「ワタシは頭がおかしいんじゃ」と自分を責めたり、泣きわめいて自分の髪の毛をひっぱるなど自傷を繰り返す。
極めつけはストレスと過労から虚血性腸炎を起こし、救急車で運ばれ緊急入院。
33歳

友人のワークショップでNVCに出会う。
一気に興味がわき、NVCのカードを使ってみることに。カードで自分の気持ちやニーズを探す練習をしてみる。
すると、息子が学校に行けないことで自分の中にどんな気持ちがあるのか、少しずつ言葉にして伝えられるようになってくる。
息子と会話する中でも「気持ち」をお互い交換するやりとりが増える。
息子も、「友達に俺の気持ちわかってもらえない、って思ってたけどちょっと話してみる」と、別室登校の形で少しずつ学校に行けるように。
34歳


引き続き、日常でNVCを意識する練習をこっそりと続ける。
するとだんだん、イライラした後の自分の行動に変化が出てくる。
毎回ではないけれど、頭の中で言葉をまとめ、息子に「お母さんは〇〇を大事にしたかったからすごく残念さがあった」と柔らかく伝えられる時が出てくる。
相変わらず気持ちの波がある息子が一時期、毎晩のように「俺、心療内科に行ったほうがいいのかな」と言ってくるが、これもまた冷静に対応ができる時が増える。
特に「今、何を大事にしたいか考えてみる?」と、これまでとは違う視点で息子に質問ができるように。
36歳

以前、私が息子に感情をぶつけたり脅すような接し方をしていた時、息子は「怒られるから」と私に嘘をついたり顔色をうかがっていた。
でも私がNVCを練習するようになってからは少しずつ、「お母さんはそう思うんだね。でも俺はこう思うよ。どう?」と話してくれるように。
また、高校に進学した息子が部活の顧問から体罰を受けるという出来事があり、息子から「退学したい」という言葉が出てきた際も、とにかく共感的に聴き息子のケアを行なった。
その結果、少しずつ気持ちを立てなおせた息子から「お母さんに話を聞いてもらってすごく助けられた。お母さんの強みは”受け入れる力がある”だと思う」と言われる。
今では「親子」というよりもフェアな横の関係性というようなイメージ。
お互い困っていることや辛いことを相談し合ったり、手助けが必要な際はスムーズにお願いができるように。
これまでは息子と同じ空間にいるのがしんどくて仕方がなかったが、最近では息子のいる土日や、平日の息子の帰宅後が一番ホッとする時間。
(何をするわけでもないが、すぐ頼れて共有することができる存在がいる、という感覚で満たされている)
39歳



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